其の三
2015.4.10 

校正管理とお墨付

 生産工程における検査装置の較正管理は測定器単独の較正だけで、「ハイお墨付証!」と、すまされるでしょうか。
現場での検査は ワーク + 冶具 + 操作系 + 測定系 + 制御系 の丸ごとひっくるめて検査に関わる系全体から出力される値をもって管理しなくていいの?  不安はないの?  疑問はないの?

あなたが最近乗り換えた愛車の保証書は、エンジンの性能書だけだったり 内装の検定書だけだったら、あなたは安心して乗れますか?

 お墨付とはあらかじめ企画された型枠に従って書き込まれたお札でしょうか。部分的に特名が入れば特札となり、お布施額の低いのは判子、転写、コピー等で以下同文となりましょうか。 (そもそもお札の御利益は、これをチラツカセれば実体を詮索されずに遣り過ごせること、そんなありがたい世の中もありましたね。)
 そんなカラクリの中で生産工程を素通りして行った製品が市場で人命にかかわる事故を起こすことがあったら・・・・・・
それを野放しにしていた期間のアガリで宴会と華麗な日々を謳歌していた人々がいたら、どう裁くことができるでしょうか。

一度に多数の人命にかかわる事故の多くは比較的知名度の高い大組織の生産工程から流れ出た商品に多い、と言ったらそれは独断と偏見だとあなたも思うのですか。

そのような犯罪に組した人達でさえ個人的生活にまで責任が及ばずに過ごせる世の為来りが事故を温存させる道でもあったりしたら一級のスリラー物語りですね。

 現場での実体を見ないで過ごせる世界がどっかりと上空を覆っていたり、生産工程の関連した系全体ではなくて、部分的較正だけのお墨付証を切札として罷り通る制度が存在するかぎり事故はこれからも増殖するでしょう。
事故は事前に防ぐもの、その努力と費やされる労力が報われる社会機構をつくり上げたいものです。

お墨つけ

 許認可制度がほどよく管理され、それぞれの分野で努力する人達にほどよく利益配分される世界があったらこれはゆかいなことですが、お墨付札は本来単なる限度基準であるのに、いつの間にか銭金がぶらさがり権威に結びついてしまう。
一枚の札がそうなのだから、札を発行し管理する人間はその上に押し上げられ易いのは、ごもっともな筋書きだから、そんな筋書きなんか消してしまいましょう。
 お墨を付けて塗り潰しましょう。

かつての大戦の後に国定教科書の行文単語を墨で塗りつぶしたように、虫食い状にではなく 全面に塗り潰しましょう。
お墨が馴染めない世代には、修正ペンにしましょうか

 何はともあれ利権が絡む制度が成り立つ温床を無くするよう行動しなければなりません。 お墨付を必要としない制度を考えましょう。
地球上の何処に居ても、どこのオフィスやどこの現場でも、雨の日も晴れの日も冬でも夏でも朝でも昼でも夜中でも誰でも得られる基準なら、お墨付札に群がる理由が無くなるわけで、権威や制度で押し付けたもの、既得権で囲われたものではなくて、地上の自然現象を基準にできたらいいですね。
 そしたら、その番人の館も儀式もOBも天下りさんもお受け皿も存在する理由が消えるわけで・・・・ それでも己の身を動かさずに何かエーコトにありつきたい願望人種用には、せめて富札をつくるなり、賽子を振ってもろて、一喜一憂してもろたらえぃねんとちゃうやろか。